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高松地方裁判所 昭和44年(ワ)25号 判決 1971年10月15日

原告

瀬尾一茂

ほか一名

被告

安田火災海上保険株式会社

ほか一名

主文

一  被告会社は、原告晴美に対し、金一五〇万円及びこれに対する昭和四四年二月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告一茂の被告会社に対する請求を棄却する。

三  被告三宅は、原告一茂に対し、金一〇〇万円、原告晴美に対し、金四八万二、五〇〇円、及びこれらに対する昭和四四年二月二日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告晴美の被告三宅に対するその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、原告晴美と被告会社との間及び原告一茂と被告三宅との間においては、それぞれすべて被告会社及び被告三宅の負担とし、原告一茂と被告会社との間においては、すべて同原告の負担とし、原告晴美と被告三宅との間においては、これを二分し、その一を同原告、その余を同被告の各負担とする。

六  この判決の一項及び三項は、かりに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告ら)

一  被告会社は、原告らに対し、各金一五〇万円及びこれに対する昭和四四年二月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告三宅は、原告らに対し、各金一〇〇万円及びこれに対する昭和四四年二月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告会社)

一  原告らの被告会社に対する請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

との判決。

(被告三宅)

一  原告らの被告三宅に対する請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

との判決。

第二請求の原因

(被告会社に対するもの)

一  保険契約の締結

原告一茂は、昭和四二年四月二二日、被告会社との間で、同原告が所有し自己のために運行の用に供する普通貨物自動車(登録番号香四さ三三一八号、以下本件自動車という。)について、保険期間を同年五月二〇日から昭和四三年五月二〇日までとする自動車損害賠償責任保険(以下自賠責保険という。)の契約(保険証明書番号第N五三一四一五号)を締結した。

二  事故の発生

昭和四三年三月二八日午前一一時一〇分頃、香川県大川郡志度町大字志度九三八番地の三原告ら方北側空地において、当時原告一茂の使用人であつた被告三宅が本件自動車を運転中、同車の左前輪付近を同所で遊んでいた原告らの子訴外瀬尾秀仁(当時二才、以下秀仁という。)に接触転倒させその頭部を轢圧して死亡させた。

三  運行供用者責任の発生

被告三宅は、後記のとおり、原告らに対し、本件事故による損害を賠償すべき責任を負担するに至つたが、これに伴ない、原告一茂も、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)三条により、運行供用者として同様の責任を負うこととなつた。

四  損害

(一) 秀仁の逸失利益 二九四万九、五三四円

秀仁は、死亡当時二才であつたから、生存しておれば、一八才から六一才まで稼働可能で、その間、年間三六万七二〇〇円(一か月につき三万〇、六〇〇円)の収入を得ることができた筈であるところ、同人の生活費は右収入額の二分の一とみるのが相当てあるから、これを控除すれば、年間純収入額は一八万三、六〇〇円となる。そして、右純収入額を基準にして、稼働可能期間四三年間の合計額の現価を年別にホフマン式計算方法により年五分の中間利息を控除して算出すると、年間純収入183,600円×(2才の就労可能年数61年の係数27,602-2才の就労不能年数16年の係数11,537)の算式により、二九四万九五三四円となる。

(二) 秀仁の慰藉料 五〇万円

秀仁は、本件事故により、その春秋に富む若い生命を無惨に奪われ、甚大な精神的苦痛を受けたが、その慰藉料は五〇万円をもつて相当とする。

(三) 原告らによる相続

原告らは、秀仁の父母であり、同人の死亡により、右(一)、(二)の損害賠償請求権の二分の一にあたる一七二万四、七六七円宛を相続した。

五  結論

よつて、原告らは、被告会社に対し、自賠法一六条一項に基づき、保険金額の限度内において、前項(三)の金額のうち各一五〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四四年二月二日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告三宅に対するもの)

一  事故の発生と被告三宅の過失

被告三宅は、前記被告会社に対する請求原因二項記載のとおり事故を惹起したが、右事故は、被告三宅において、本件自動車を運転して事故現場の空地の東端付近からその東側沿いを南北に通ずる県道に進出すべく発進するに際し、当時同空地内で秀仁が遊んでいるのを認めていたのであるから、同車の周囲の安全を確認し事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、右側県道上の交通状況の確認のみに気を奪われて、進路左前方の状況を確かめなかつた過失により、発生させたものである。従つて、被告三宅は、民法七〇九条により、原告らの蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

二  損害

(一) 秀仁の逸失利益・慰藉料と原告らによる相続前記被告会社に対する請求原因四項記載のとおり。

(二) 原告ら固有の慰藉料 合計一六〇万円

原告らは、秀仁の父母として、一人息子であつた同人の死亡により、多大の精神的打撃を受けたが、その慰藉料は各自につき八〇万円をもつて相当とする。

三  結論

よつて、原告らは、被告三宅に対し、前記損害のうち、各一〇〇万円及びこれに対する損害発生の後である昭和四四年二月二日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三請求原因に対する答弁

(被告会社)

一  被告会社に対する請求原因一・二項の事実は認める。

二  同三項の事実は争う。

三  同四項の事実中、原告らが秀仁の父母で同人の相続人であることは認めるが、その余は争う。

(被告三宅)

一  被告三宅に対する請求原因一項の事実は認める。

二  同二項の事実中、原告らが秀仁の父母で同人の相続人であることは認めるが、その余は争う。

第四被告らの主張

(被告会社)

一  原告らは、以下に述べる理由により、損害賠償請求権ないしは自賠法一六条一項による保険金請求権を有しない。

(一) 原告ら及び秀仁は、自賠法三条の「他人」にあたらない。

1 原告一茂は、本件自動車を所有し自己のために運行の用に供している保有者であつて、明らかに自賠法三条の「他人」(被害者)ではなく同条所定の責任主体(加害者)であるから、自賠責保険金のいわゆる直接請求権者たる同法一六条一項の「被害者」にも該当しない。

2 また、原告晴美は原告一茂の妻、秀仁は原告らの養育監護を受ける未成熟の子であつて、これら三者を構成員とする夫婦親子一体としての生活共同体が形成されているものであるが、一般に、かかる生活共同体の構成員が自動車を保有する場合、当該自動車は、各構成員が相互に或いは共同して利用し、自動車を保有することによる利益は構成員全員が享受し、実質的にはその全員がこれを共有している状態にあるものとみられ、原告らの場合もその例外ではなかつた。現に、本件事故は、原告一茂が使用人である被告三宅と共に事故現場で薪割り作業に従事し、原告晴美が秀仁を同所に連れてきて父親である原告一茂に託しその監督のもとに同人を遊ばせていたところ、原告一茂が被告三宅に右作業用の道具を買つてくるよう命じ同被告が同所に駐車中の本件自動車に乗つて出かけようとした際、惹起されたものであつて、本件自動車の具体的な運行は、原告らの家庭生活共同体における家事行為(薪割り作業)に付随して行なわれたものであるから、その運行支配ないし運行利益は単に原告一茂のみでなく原告晴美及び秀仁にも帰属していたものというべきである。

従つて、原告晴美及び秀仁も、本件自動車の共同運行供用者であつて、自賠法三条の「他人」に該当せず、同法一六条一項の「被害者」にもあたらない。

3 もつとも、本件事故の直接の加害者(運転者)は被告三宅であり、自賠法一一条は運転者をも自賠責保険の被保険者としている。しかしながら、同条は、同法三条の規定による保有者の責任が発生した場合において、これによる保有者の損害及び運転者もその被害者に対して損害賠償の責任を負うべきときのこれによる運転者の損害を保険会社が填補することを自賠責保険契約の内容とする旨規定しているのであるから、運転者は、保有者が損害賠償の責任を負つた場合に限り被保険者となり得るだけであつて、保有者の責任の有無にかかわらず当然に被保険者となるものではないことが、右規定の文理から明らかである。また、自賠法が右のとおり運転者をも自賠責保険の被保険者としているのは、保有者の同法三条による損害賠償責任と並んで、運転者も民法七〇九条の責任を負うことがあり、且つ、その責任の原因が専ら運転者の行為にある場合に、運転者は、保有者から賠償金を求償され或いは保険会社から填補額を求償されることがありうるので、単なる労働者にすぎないことの多い運転者に苛酷になる場合があるからであるが、この点から考えても、運転者に損害賠償責任があるからといつて、保有者の責任の有無とは関係なしに保険会社に対し損害の填補請求権を有するものではないといわなければならない。

(二) 秀仁は、原告一茂に対し、損害賠償請求権を有しない。

1 秀仁は、前記のとおり、その父母である原告らとともに、夫婦親子一体としての生活共同体を形成していたものであるが、かかる生活共同体は社会生活の基盤をなす基礎的な生活単位であり、これを支配する法規範たる家族法においては、民法七五二条、七六〇条、八二〇条等の規定にみられるように、その和合、安定を目的として、一般市民法とは異なり、愛情、情誼を基調とする相互扶助の原理が貫かれているから、生活共同体の中で加害行為が発生しその結果被害が生じても、生活共同体の関係が破綻に頻しているなど特段の事情がない限り、やはり右の原理が優先し不法行為法の適用はないものというべきところ、秀仁ないし原告らにつき右特段の事情は認められないので、秀仁は、原告一茂に対し、損害賠償請求権を有しないというほかはない。

2 また、かりに原告ら主張のように損害賠償請求権があるとしても、それは観念的抽象的なものにすぎず、前記生活共同体が破綻することなく維持継続されている限り、その現実的行使はおよそ予想できないし、これを行使することは、「法律は家庭に入らず」の法諺のとおり自然債務ないし権利の濫用であると解すべきであるから、許されないというべきである(なお、秀仁の慰藉料請求権については、慰藉料請求権が帰属上行使上の一身専属権であることにかんがみ、その発生及び相続性を否定すべきである。)。しかして、かかる秀仁の損害は、結局存在しないのと同様であつて、自賠責保険の対象とならないものというべきである。

(三) 原告らに自賠責保険金の請求を許すことは、自賠法の立法趣旨にもとり、自賠責保険制度の目的に背馳する。

1 そもそも自賠法は、前記のような家族法の原理になんらの修正を加えることなく、その存在を前提として制定されたものである。そして、同法の立法趣旨は、被害者保護のため、自動車保有者に対して広い意味での無過失責任を課すると同時に強制保険により保有者の賠償資力を確保すること、換言すれば、保有者のいわゆる報償責任ないしは危険責任に立脚するところの一般的社会的責任を強調するとともにそれによる経済的負担の緩和のため保険により危険負担の分散化を図ることにあるが、前記のような生活共同体の内部関係においては、保有者に対し右のごとき一般的社会的責任を特に追及すべき理由がなく、また、その経済的負担についても、いわゆる「財布は一つ」であり、結局、保有者の賠償資力を確保すべき格別の必要性もないから、同法の制定にあたつても、夫婦親子一体としての生活共同体内部での自動車事故被害は、その保護の対象とはせず、保有者側内部の問題として処理されるべきことが予定されていたのである。

2 また、自賠法一一条、一六条の保険規定との関係においては、責任規定たる同法三条は保険によつて填補される責任の範囲を固定するための前提的機能を有しているから、その解釈にあたつても、責任保険(損害保険)の観点からの考慮、つまり、損害保険制度は事故により被保険者に生ずる具体的損害を填補することを目的とするものであつて、具体的損害如何にかかわらず契約上の一定金額を給付される生命保険とは異なること、損害保険の保険者の損害填補義務は保険契約における金銭支払約束に基づくものであつて、不法行為等の損害賠償義務と異なり必ずしも事故によつて生じた一切の損害を填補すべき義務ではないこと等に留意すべきはもちろん、特に、自賠責保険制度は、偶然の事故に脅かされている自動車保有者の不安定さに対処するため、多数の保有者からの醵出金を基礎とする多分に公的性格を有する社会的共同的備蓄の制度であり、その多数の保有者についての財産上の危険を一般的に綜合平均化した極めて団体的技術的構造を有する制度であつて、損害のうち如何なる種類態様のものをいわゆる保険損害として填補するかは、保有者団体の一般的平均的危険負担や保険料率の決定など保険技術の見地からする諸事情を勘案して決定されるべきものであることに意を用いなければならない。

3 ところで、自賠責保険の本来の目的は、被保険者たる保有者を不慮の出費から守る点にあつて、被害者の救済を直接の目的としておらず、その被保険利益は被保険者たる保有者の財産の全体ないしはその現状である。そして、自賠法は、前記のとおり、夫婦親子間で発生した自動車事故被害をその保護の対象とすることを予定しておらず、現に、保険料率の算定にあたつても、かかる事故の場合を考慮していないのであるが、その理由は、まず、夫婦親子間においては、損害賠償請求権が具体的に発生するか否か、また現実に行使される状態にあるか否かが不明であり、かりに損害が存するとしても、抽象的な場合がほとんどで、保有者の財産の現状に影響を及ぼすような出捐は考えられず、自賠責保険制度の目的からして、かかる損害は保有者の被保険利益があるとするに足りないからであり、さらには、いわゆるフアミリー・カーにおいては、前記のような生活共同体の構成員が共同で利用する機会が多く、一般の歩行者や搭乗者とはその危険率において比較にならないほどの高率であつて、現行の保険料率では到底まかないきれないからである。

4 しかして、自賠責保険は以上のごとき見地から確立実施され、保険会社及び国においても、自賠法施行以来長期間にわたり、夫婦親子間での自動車事故による損害は自賠責保険上のいわゆる保険損害として取扱わない運用であり、それが商慣習ともなつているのであるから、これに反する原告らの請求は失当であり、本件のような危険については、交通事故傷害保険等他の保険により保障を受ける方途を講ずるほかないというべきである。

二  かりに以上の主張が理由がないとしても、原告ら主張の損害賠償請求権は、次に述べる理由により、消滅した。

(一) 前記のとおり、原告一茂はもとより同晴美も本件自動車の運行供用者であるから、秀仁の損害賠償請求権を原告らが相続したことにより、その請求権及びこれと対立する運行供用者責任に基づく原告らの損害賠償義務が同一人に帰する結果、原告らの相続にかかる損害賠償請求権は混同により消滅したものというべきである。

(二) 原告らは、被告会社に対し、当初は秀仁死亡による原告ら自身の慰藉料の支払いを求めていたところ、昭和四六年一月一四日に至り秀仁の損害の支払いを求める旨請求の原因を変更したものであるが、原告らの慰藉料請求権と秀仁の損害賠償請求権とは全く別個独立の権利であつて、右変更の日は、秀仁の損害発生(事故の日)から自賠法一九条所定の二年の時効期間を既に経過していたのであるから、原告らの本訴保険金請求権は時効によつて消滅しているものというべきである。

三  かりに秀仁の損害賠償請求権が認められるとしても、本件事故は、前記のとおり、原告一茂がその監督のもとに秀仁を遊ばせていたのに、監督を怠り被告三宅が発進させている本件自動車の直前に秀仁が飛び出したことに起因するところ大であるから、原告一茂の右過失は、本件損害賠償額を定めるについて斟酌さるべきであるのみならず、秀仁の逸失利益の算定にあたつては、原告らが右利益の賠償請求権を取得するとともに秀仁の養育費の出費を免れることにかんがみ、少なくとも一か月につき八、〇〇〇円の割合による養育費を控除するほか、所得税等の税金、社会保険料及び稼働可能期間終了後平均余命年数までの間の生活費も控除すべきであり、さらに、ホフマン式計算法により逸失利益の現価を算出することは、本件のように終期が長い幼児の場合、大きな誤差を生じ、年五分の利息は年金を上まわり、しかも終期に元金が残る計算になつて不合理であるから、ライプニツツ式計算法によるのが相当である。

(被告三宅)

一  本件事故は、被告会社主張のような状況下に発生したもので、これについては、被告三宅の過失もさることながら、原告一茂の前記過失も与つて大であるから、これを本件損害賠償額を定めるについて斟酌すべきである。

二  なお、被告三宅も、被告会社の前記消滅時効の主張を援用する。

第五被告らの主張に対する答弁並びに反駁

一  被告らの主張事実中、原告らの請求原因事実と符合する事実関係は認めるが、その余はすべて争う。

二  自賠法は、被害者の保護を強化した立法であつて、被告会社主張のように夫婦親子間の被害を特に保護の対象から除外することは解し難い。従つて、自賠責保険は、保有者自身が直接の加害者としてその膝下の子に損害を与えておきながらあえて保険金の請求をするなど、これを認めることが一般社会感情上許し難いとみられる場合を除き、夫婦親子間の損害といえども、現実に当事者間で請求するか否かに関係なく、保護の対象とすべきであり、その意味においていわゆる社会保険の性質を有するものというべきである。もつとも原告一茂の本訴保険金請求は、自己が運行供用者である自己に損害賠償請求権を有するという一見矛盾した論理を前提とすることになるが、本件事故の直接の加害者は被告三宅であるから、右矛盾は、観念上のものにすぎず、実際上は同原告は純然たる被害者である。

三  被告三宅は、本件自動車に乗車する際、遊んでいた秀仁に声をかけて同人の接近を誘発しておきながら、その直後、同人の動静になんら注意することなく、同車を発進させたもので、その過失は極めて重大であるというべく、なお、原告一茂の秀仁に対する監督状態は、被告三宅が右のとおり声をかけた段階で同被告に移つたものとみられる。従つて、原告一茂ないしは秀仁には過失はなく、かりにあつても過失相殺の対象となるほどのものではない。

四  被告ら主張の消滅時効は、原告らが昭和四四年一月二三日本訴を提起したことにより、中断されている。

第六証拠関係〔略〕

理由

第一被告会社に対する請求について。

一  保険契約の締結と事故の発生

被告会社に対する請求原因一・二項の事実は、当事者間に争いがない。

二  原告ら及び秀仁の自賠法三条の「他人」性の有無

被告会社は、原告一茂は本件自動車を自己のために運行の用に供する保有者であり、また、原告晴美も、夫婦親子一体としての生活共同体の中で本件自動車を共同利用してその運行利益を享受しているから、共同運行供用者であつて、いずれも自賠法三条の「他人」に該当せず、同法一六条一項の「被害者」にもあたらない旨主張する。

思うに、自賠法一六条一項の「被害者」とは、自動車の運行により身体を害された者本人、生命を害された者の損害賠償請求権を相続した者、民法七一一条による慰藉料請求権者、その他人身事故による損害の出捐者等をいい、自賠法三条の「他人」とは、生命又は身体を害された運行供用者及び運転者以外の者をいうのであつて、両者はその範囲を必ずしも同じくせず、また、原告らは、本件事故により秀仁が損害を蒙り、これを相続したとして、被告会社に対し保険金の支払いを求めているものである。従つて、右「他人」に該当するか否かは、取りも直さず、原告らについて判断されるべきものではなく、本件事故により死亡した秀仁について検討されなければならないものであり、これが肯定された場合、原告らが本件自動車の運行供用者であるとすれば、原告らも秀仁に対し損害賠償の義務を負うから、原告らがその主張のように秀仁の損害賠償請求権を相続しても、それは混同によつて消滅することになる。(このことは被告会社がその主張二項の(一)で主張するところである。)

そこで検討するに、自賠法三条の「他人」とは、前記のとおり自己のために自動車を運行の用に供する者及び当該自動車の運転者を除く、それ以外の者をいうと解するのが相当であり、運行供用者とは、自動車について、所有権その他使用権原を有し或いは事実上これを支配して自由に使用できる立場にあるいわゆる運行支配を有し且つその運行利益が帰属している者をいうと解せられるところ、〔証拠略〕によれば、秀仁は、昭和四〇年一二月八日原告ら間に生まれた幼児で、本件事故当時二年三か月であつたことが認められるところ、他に特段の事情がないかぎり、このような幼児が自動車の運行支配を有し且つその運行利益を独立して享受していたと解するのは相当でなく、本件においてこれを肯定するに足る特段の事情も窺えないから、秀仁に本件自動車の運行支配及び運行利益が帰属していたとは認められず、従つて、同人は右の「他人」にあたるというべきである(この点に関し、被告会社は、夫婦親子一体としての生活共同体を云為し、また、本件事故当時の本件自動車の運行が右共同体における家事行為に付随するものでその運行利益は秀仁にも帰属していた旨主張するが、本件自動車の運行によつて、秀仁の生活上になんらかの利便を生ずることは考えられないではないけれども、それは、原告一茂の養育を受けていることによる同原告の有する運行支配及び運行利益の単なる反射的なものであつて、間接的なものである域を出るものとはみられず、前説示に照らし、秀仁が独立して直接に本件自動車の運行支配及び運行利益を有しているとする根拠とは到底なし難い。)。

ところで、原告一茂が本件自動車を所有し自己のために運行の用に供する保有者であることは、当事者間に争いがない。

そして、〔証拠略〕によれば、本件自動車は、普通貨物自動車で、原告一茂が自己の経営する鉄工業のためにこれを利用していたものであること、原告晴美は、右鉄工業には特に関与せず、独立して美容院を経営し、そのかたわら一般家事に従事していたものであることが認められ、本件全証拠によつても、原告晴美が本件自動車を自己のために運転利用することを常としていたような事情は窺えないところであつて、右事実によれば、本件自動車の運行支配及び運行利益はもつぱら原告一茂に帰属していたものといわざるをえず、原告晴美は、前記秀仁の場合と同様反射的間接的な利便を受けていたとしても、本件自動車の運行供用者であるということはできない。

三  原告一茂の自賠法三条に基づく責任(秀仁の損害賠償請求権の有無)

前記のとおり、原告一茂が本件自動車を所有し自己のために運行の用に供していることは、当事者間に争いがないところ、被告会社は、秀仁及び原告らが夫婦親子一体としての生活共同体を構成していたものであるから、その相互間においては、法律上、損害賠償請求権は発生しないか、少なくともこれを行使しえないものである旨主張する。

なるほど、夫婦親子で構成されている家族的生活共同体は、強固な人格的結合たるを旨として、常に平穏・安定が維持されるべきであるから、その内部で生ずる諸々の問題については、構成員間において、愛情と情誼を基調とする相互扶助の精神に則り、自治的に解決することが望ましく、「法律は家庭に入らず」の法諺どおり、みだりに期産法上の法的手段に訴えるべきではないし、これに外部から容喙を加えることも極力差控えなければならないであろう。

そして、現実に右のような生活共同体の中で加害行為が発生しその結果被害が生じた場合においても、共同体が円満に維持継続されているかぎり、その被害は共同体全体の財産的、身体的ないしは精神的負担として甘受し、たがいに許し合うのが通常で、被害者があえて加害者に損害賠償を訴求することはほとんど考えられないし、また、右の場合、加害者は被害者に対し親族としての協力扶助義務を負つているので(民法七三〇条、七五二条、七六〇条、八二〇条等)、その履行により加害行為によつて生じた財産的損失は直ちに填補される関係にあるから、被害者が加害者に対して損害賠償を請求することは無意味でありその実益を欠くということもできよう。

しかしながら、現行民法は、夫婦親子の間といえども、各人がそれぞれ独立の人格者として別個の権利義務の主体となりうるとする個人主義に立脚し、その間の財産関係についても、夫婦間では、原則的にそれぞれ特有財産を持ち、婚姻費用を分担し、家事債務について連帯責任を負い(民法七六〇条以下)、また、未成年の子の財産については親権者が包括的な管理権を有するけれども(同法八二四条)、親権者に恣意的な管理を許さないようかなり厳格な制約と義務を課して子の財産の保護を図る(同法八二五条)など、個別財産主義を建前としており、なお、親子夫婦間における訴権を禁止制限する制度は、現行法上存在しない。そして、夫婦親子間において損害賠償請求権を行使することが常に家族的生活共同体を分裂破壊するとは限らないし、前記のような協力扶助義務の履行による損失の填補があらゆる場合に例外なく期待できるとも限らないのであつて、ただ、子が親に対し或いは妻が夫に対して損害賠償請求権を行使することについては、道徳的な抵抗や社会的非難を受け、進んで、権利の濫用と目されることになる場合が多いであろうと思われるだけである。

右の観点から考えると、家族的生活共同体の内部で加害行為が発生しその結果損害が生じたときでも、法律上は、被害者が加害者に対し損害賠償請求権を有するに至ることは当然というべきであつて、権利者がこれを行使する以上その行使を一般的に拒否する理由は見出し難く(前記のとおり、実際上は行使を差控えるのが通常であるということは、その理由にならない。)、ただ、右行使が、生活共同体の構成員が負うとみられるところの共同体における生活関係を円満に保持していく義務に不当に反してこれを破壊するものであるとき或いは前記のような協力扶助義務による損失填補を現実具体的に受けうる関係にあるのにあえてしたものであるときなど、事情によつて権利濫用の問題が生ずるだけであるというべきである。

しかして、保険会社に対し自賠法一六条一項に基づき損害賠償額の支払いを求める前提として、被害者側から保有者たる生活共同体の構成員に対し同法三条による損害賠償請求権を行使することは、共同体を分裂破壊させるおそれは全くないから、共同体保持の目的に少しも反しないし、また、事故の結果が死亡という最悪の事態を招いている場合には、死亡者自身の損害に関する限り、前記のような協力扶助義務による損失の填補は実質上なされえないものというべきであるから、右行使にはなんら権利濫用の廉は認め難い。そして、このことは、事故の直接の加害者が保有者自身でなくその属する共同体の外部の者である場合には、一層明らかであるといわなければならない。

かかる見地からすれば、本件事故は、後記認定のとおり、被告三宅の過失により惹起されたもので、不法行為の成立は明らかであるから、原告一茂は、本件自動車の保有者として自賠法三条に基づき本件事故により秀仁に生じた損害を賠償すべき責任があり、その賠償請求権の行使も当然許容されるというべきである。

なお、原告一茂が賠償すべき賠害の範囲については、もし同原告自身が直接の加害者であるときは、一応問題の存するところであるが、本件では、前記のとおり、直接の加害行為は被告三宅によつてなされたもので、本来同人が賠償義務を負うべき損害について、原告一茂が自賠法三条により被告三宅と不真正連帯の関係で賠償義務を負つているものであることにかんがみれば、一般の場合と異なつた考慮を特にはらう必要はないものというべきである。

四  原告らの自賠法一六条一項による直接請求の可否

被告会社は、本件事故による損害賠償責任が近親者間のそれである特殊性を重視して、原告らに自賠責保険金の請求を許すことは、自賠法の立法趣旨にもとり、自賠責保険制度の目的に背馳する旨、縷縷主張するが、当裁判所は右主張を採用しないものであつて、その理由とするところはすでに前項で説示したことのほか、次のとおりである。

たしかに、自賠法の適用をみるのは、加害者と被害者とが全くの他人であるような社会的生活関係についてであることが通例であり、運行供用者責任に基づく被害者の保護救済を目的とする自賠責保険において、運行供用者の近親者である被害者を、純粋の他人の場合と同一に扱うことには若干の躊躇を禁じえないところがあろう。

しかしながら、かかる近親者の被害が自賠責保険の保護の対象外であるとは当然にはいえず、これをその対象から除外するためには、特別の規定が必要であるというべきところ、自賠法一六条によれば、同条一項の損害賠償額の支払請求(直接請求)は、同法三条による保有者の責任が発生したときに、被害者(これに事故により死亡した者の相続人が含まれることは前記のとおりである。)に対して認められるとされ、同条二項の規定によつて保険会社が義務を免れることがあるほか、特にこれを制限する規定は存しない。

そして、自賠法の立法趣旨は、同法一条、三条、五条、一一条等の規定から明らかなように、自動車の運行供用者に対し自賠責保険契約の締結を強制してその自動車の運行によつて他人の生命身体を害し、運行供用者が被害者に対して損害賠償の責任を負うべき場合に、運行供用者の損害を保険会社が填補する道を講ずることによつて、運行供用者の資力を確保し、ひいて被害者に対する損害賠償を確保し、もつて被害者の保護を図ろうとするものであり、さらにこれを進めて、同法一六条によつて右のように運行供用者の被害者に対する損害賠償義務が発生したときには、被害者から直接保険会社に対し保険金額の限度において損害賠償額の支払いを請求することを認めて、被害者に迅速簡易確実な満足を得さしめることとしているのである。

従つて、運行供用者の近親者からの損害賠償請求権に基づく保険金請求の場合においても、事案に応じて、その賠償請求権が近親者間に存する協力扶助義務の中に実質上埋没ないし吸収されているとか、その行使が権利の濫用にあたるとみられればともかく、そうでなければ、これを否定することはできないというほかはない。しかして、本件において、右権利濫用等にあたる事情がないことは、前記説示のとおりである。

もつとも、本件のような損害賠償請求権が、自賠責保険の問題と離れて、関係者間で現実に行使されることはないと思われるけれども、前記のとおり、かかる賠償請求権に基づく保険金請求を否定する規定はないし、これを認めても決して被害者側に不当な利益を得させるものとも考えられないから、その請求の前提として、いわば抽象的に右賠償請求権を行使し、保険金請求をすることも許されるというべきである。

また、被告会社主張のように、夫婦親子一体としての生活共同体の内部における自動車事故被害については、保有者側内部の問題として処理されることが、自賠法制定当初から予定されていたとしても、立法当初の事情が法の解釈に絶対的な影響を及ぼすものとみることは妥当でないのみならず、右のような処理に委ねて自賠責保険の保護の対象から除外することは、運行供用者ないしは保有者自身の加害行為により生活共同体の構成員に被害を与えたような場合ならともかく、本件のように、直接の加害者が共同体の外部の者である場合には到底首肯し難いことであるし(本件のような事例についてまで右のような予定がなされていたとは思われない。)、また、本件の場合、単純に共同体内部での事故だとみること自体が相当でない。

そして、被告会社は、夫婦親子間の事故が、その発生の危険性が高いのにかかわらず、自賠責保険の保険料率算定にあたつて考慮されていないことをもつて、これらの被害者の保険金請求を否定する根拠とするが、右のような考慮がなされていないとしても、それは、自賠法一六条一項の解釈を誤つた結果であると思われるし、そもそも、本件事故は、危険率が高いという生活共同体の構成員の共同利用の場面で生じたものではなく、一般歩行者との間で惹起されたものと大差のないものであるから、右根拠には左担できない。

さらに、被告会社は、保険会社及び国において、長期間にわたり、夫婦親子間での自動車事故による損害を自賠責保険上の保険損害として取扱わない運用であり、それが商慣習ともなつているというが、〔証拠略〕によれば、保険会社が従来右のような運用をしてきていることは認められるけれども、それは保険会社側の一方的な法解釈によるものであつて、一の見解にすぎず、本件のような場合にまで妥当するものとはいえないし、右の慣習的なものが存するとしても、いわば保険会社内部での事務処理慣行であつて客観性が認め難いうえ、保険契約者においてこれに従う意思があるとは思えないので、これをもつて、被告会社に対する本訴請求を否定する理由とすることはできない。

要するに、被告会社に対する本訴請求自体は、形式的には自賠法上否定される根拠がないし、実質的にみても、吾人の倫理観念に反するものではなく、被害者の保護を図らんとする前記自賠法の立法趣旨に合致するものというべきである。

五  損害

(一)  秀仁の逸失利益

原本の存在と〔証拠略〕によれば、政府の自動車損害賠償保障事業においては、秀仁のような死亡当時二才の幼児の逸失利益を、被告会社に対する請求原因四項の(一)のとおりの計算関係で、二九四万九、五三四円と算定する取扱がなされていることが認められる。しかして、秀仁が生前その身体に格別の障害があつたとみられる事情は窺えないし、第一一回生命表によれば、二才の男子の平均余命は六五・八一年であること、労働省の「昭和四三年度賃金構造基本統計調査報告」第一巻第一表によれば、常用労働者一〇人以上九九人以下を雇用する事業所における高等学校卒業の男子労働者の収入は、一八才ないし一九才で平均月間現金給与額二万五、二〇〇円平均年間特別給与額一万五、七〇〇円、二〇才ないし二四才で平均月間現金給与額三万二、四〇〇円平均年間特別給与額六万一、四〇〇円であつて、以後順次上昇し六〇才をこえても右金額を下ることはないことがそれぞれ認められるので、これらをあわせ考えれば、秀仁についても、右計算関係が妥当し、同人の逸失利益の現価が右二九四万九、五三四円を下るものではないと推認できる。

ところで、被告会社は、原告らは秀仁の逸失利益の賠償請求権を取得するとともに同人の養育費の出費を免れるから、逸失利益額から養育費相当額を控除すべき旨主張する。しかし、いわゆる損益相殺により差引かれるべき利得は、被害者本人に生じたものでなければならないと解せられるところ、本件の場合、損害賠償請求権は被害者である秀仁本人について発生したものであり、原告らが養育費の支出を免れたとしても、その利得は秀仁本人に生じたものではないから、本件賠償額から控除すべきいわれはない。のみならず、幼児の逸失利益は予測が困難であつて、かなり控え目に認定することによりその蓋然性を確保しており、秀仁が前記認定額以上の利益を得る可能性は決して少なくないから、実質的公平の観点からしても、養育費を控除することは相当でないというべきである。従つて被告会社の前記主張は採用できない。

また、被告会社は、税金等及び稼働可能期間終了後平均余命年数までの間の生活費をも逸失収入から控除すべきである旨主張するが、右主張も、採用し難い。すなわち、まず税金等については、これを控除すべきか否か問題の存するところではあるが、かりに控除すべきとの見解に立つても、前記認定のとおり、秀仁の生活費を全稼働期間を通じて一律に収入額の二分の一とみて控除しているのであるから、その生活費の中に税金等も含まれていると考えて差支えない。そして、稼働可能期間後の生活費については、およそ逸失利益の算定にあたり生活費を控除するのは生活費が労働力再生産のための必要経費とみられるからであるが、右期間後はもはや逸失利益を考えないのであるから、必要経費たる生活費はありえず、これを控除することは失当であるといわなければならない。

なお、被告会社は、ホフマン式計算法により逸失利益の現価を算出するのは不合理である旨主張するので、その当否につき検討するに、たしかに同計算法自体にはその主張のような不合理を生ずる欠陥があるけれども、逸失利益の現価換算は損害評価の一環にすぎないし、本件では事故時から稼働開始までの中間利息をも控除しているのであるから、従来実務において同計算法が一般的に用いられていることをも考慮すれば、ライプニツツ式計算法がよりよいものであるかどうかはともかくとして、ホフマン式による算定方法自体を直ちに違法視することはできないというべきである。

(二)  秀仁の慰藉料

秀仁は、前記のとおり、なお六五年間の余命期間生存することができたはずであつたのに、本件事故により、わずか二年三か月の短い一生に終つたもので、その精神的苦痛に対する慰藉料は五〇万円を下らないと認められる。

なお、被告会社は、死者の慰藉料請求権の発生及び相続性は否定されるべきである旨主張するが、民法は、損害賠償請求権発生の時点について、その損害が財産上のものであるか、精神上のものであるかにより異なつた取扱をしていないし、慰藉料請求権発生の基礎となる被害法益自体は当該被害者の一身に専属するものであるけれども、これを侵害したことによつて生ずる慰藉料請求権そのものは、財産上の損害賠償請求権と同様単純な金銭債権であつて、相続の対象となりえないものと解すべき法的根拠はないから、慰藉料請求権は、被害者の死亡によつて当然に発生し、これを放棄、免除する等特別の事情の認められない限り、被害者の相続人がこれを相続することができると解すべきである。

(三)  原告らによる相続

秀仁は、前記(一)(二)の金額を合算した三四四万九、五三四円の損害賠償請求権を取得したものというべきところ、原告らが秀仁の父母で同人の相続人であることは、当事者間に争いがないから、原告らは、右損害賠償請求権の各二分の一にあたる一七二万四、七六七円を相続したものと認められる。

ところで、前記のとおり、原告一茂が本件自動車を所有し自己のために運行の用に供する保有者であることは、当事者間に争いがないから、同原告の右相続により、その相続分に属する損害賠償請求権については、債権及び債務が同原告一人に帰する結果、混同により消滅するものというべきである(この点に関し、原告一茂は、本件事故の直接の加害者(運転者)は被告三宅であつて、同原告は純然たる被害者であるから、当然、自賠責保険による保護を与えられるべきである旨主張する。なるほど、本件事故は被告三宅が運転中過失により惹起したものであつて、同被告は秀仁及び原告らに対し損害賠償責任を負担する関係にあるところ、自賠法一一条は保有者のほかに運転者をも自賠責保険の被保険者としているから、保有者の責任とは関係なしに、運転者たる同被告に対する秀仁の損害賠償請求権を前提として、その側面からのみ、相続人たる原告一茂の同法一六条一項による直接請求権の発生を認めることができるか否かが、一応問題となる。しかしながら、同法一一条の意義ないし同条が運転者をも自賠責保険の被保険者としている趣旨は、被告会社の主張一項の(一)の3のとおりであつて、運転者が保有者の責任の有無とは無関係に保険会社に対し損害の填補請求権を有するものでないことが明らかであり、また、同法一六条一項は、同法「第三条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生したときは、被害者は、ヽヽヽヽヽ保険会社に対し、保険金額の限度において、損害賠償額の支払をなすべきことを請求することができる。」と規定しているが、この規定による被害者の直接請求権は、保有者の責任が発生したときに、もともと損害賠償請求の当事者でない保険会社を保険金額の限度においていわば損害賠償の交渉の当事者として引出し、被害者が保有者に対する場合と同じ要件のもとに損害賠償の請求ができることとして、被害者に対する迅速な保護救済を期するためのものである。従つて、自賠法三条による保有者の損害賠償責任が発生することが、同法一六条一項による直接請求権の発生要件であるというべく、その請求権の発生を、運転者に責任があるとの側面からのみ認めることはできないから、本件においても、原告一茂が保有者としての責任を負うことが、保険金請求の前提となるべき以上、前記の混同による消滅は否定し難いところである。)。

しかし、原告晴美については、前記認定のとおり、同原告は本件自動車の運行供用者といえないのであるから、被告会社主張のような混同は生じないというべきである。

六  過失相殺の要否

〔証拠略〕によれば、原告一茂は、本件事故現場の空地で使用人である被告三宅とともに薪割り作業に従事し、そのかたわら秀仁を付近で遊ばせその子守をしていたこと、秀仁の守は日頃原告晴美がするのを常としていたが、本件事故当日は原告一茂がその経営する鉄工所の操業を休み手がすいていた関係で、自己の意思により、原告晴美のもとから秀仁を連れてきて、右のようにその守をしていたものであること、被告三宅は、原告一茂から右作業用の道具を買つてくるよう命ぜられ、同所に駐車してあつた本件自動車に乗つて買物をしてくることにし、同車の所まで歩いて行く途中、その駐車場所から八メートル位離れた地点で玩具の自動車を持つてしやがんで遊んでいた秀仁に何気なく「なにしよんや」と声をかけたが、格別の反応もみせなかつたので、それ以上同人に注意を向けることなく本件自動車に乗つて出発しようとしたこと、ところが、秀仁は、被告三宅から声をかけられて間もなく、その後を追うようにして本件自動車に近寄つたため、本件事故に遭うに至つたこと、原告一茂は、被告三宅が秀仁に声をかけていたことは知つていたが、その後における秀仁の右行動は全くみておらず、その呻き声を聞いてはじめて事故に気付いたこと、以上の事実が認められこれに反する証拠はない。

右認定の事実によれば、原告晴美が同一茂に秀仁の守を委ねたことは別段責められるべきことではないが、原告一茂は、父親として秀仁に対する監護上の注意義務を尽していなかつたといわなければならず、これは、本来なら被害者側の過失として損害賠償額を定めるにあたつて斟酌すべきことであると思われる(原告らは、被告三宅が声をかけた段階で、原告一茂の秀仁に対する監督状態が同被告に移つた旨主張するが、同被告は命ぜられて買物に出かけようとしていたものであるから、右主張は失当というほかない。)。しかしながら、被告会社に対する本訴請求は、原告一茂の保有者責任が基礎となるものであつて、その関係においては、同原告は加害者の立場に立つから、抽象的一般的には同原告が秀仁の父親としてこれを監護すべき義務を負つていたとはいうものの、具体的には、結局、同原告を過失相殺における被害者側の者とみるのは相当でないというべきである。

なお、前記認定事実によれば、客観的には、秀仁の行動に過失があるものと認められ、幼児であつても、かかる過失があれば過失相殺の対象となるとの見解もあるが、当裁判所は、これをとらず、過失相殺における過失は事理弁議能力を有するもののそれに限るべきであつて、既に認定した秀仁の年令からみて、同人にはその能力がなかつたものと考える。

七  消滅時効の成否

本件記録によれば、原告らは、被告会社の主張二項の(二)のとおり、当初は原告ら固有の慰藉料を請求していたのを、秀仁自身の損害の支払いを求める旨、被告会社に対する請求の原因を変更したことが認められ、その変更のときには、自賠法一九条所定の二年の時効期間を経過していたことが明らかである。

しかしながら、本件記録と審理の経過に徴すれば、原告らは、その固有の慰藉料或いは秀仁自身の損害を問うことなく、要するに、本件事故による損害全般につき、保険金額の限度内で被告会社に対し保険金を請求する趣旨で本訴を提起したものと認められるから、かかる場合は、事故による損害賠償請求権全体について時効中断の効力を生ずるものと解するのが相当である。すなわち、この種請求にはその当否について多くの問題があつて、原告らも苦慮し、結局、最近の判例の傾向等を考慮して比較的問題の少ない秀仁の損害を請求の原因とすることに落着したもので、すべての損害に基づいて訴求するものであることを暗に表示していたとみられるから、秀仁の損害についても、本訴提起時に裁判上の請求をしたと同視するのが相当であり、そう解しても、時効制度の本来の趣旨に反せず、かえつて被害者の公平な保護を図る目的に合致するというべきである。

八  結論

そうすると、被告会社は原告晴美に対し同原告の前記相続額の範囲内である一五〇万円及びこれに対する本件訴状が被告会社に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和四四年二月二日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、同原告の請求は正当であるが、原告一茂のそれはすべて失当というべきである。

第二被告三宅に対する請求について

一  事故の発生と被告三宅の過失

被告三宅に対する請求原因一項の事実は、当事者間に争いがない。

二  過失相殺

すでに被告会社に対する請求についての判断において示したとおり、本件事故は、原告一茂が秀仁に対する監護上の注意義務を尽していなかつたことにも起因するから、被告三宅に対する関係では、これを被害者側の過失として損害賠償額の算定上斟酌すべきである。そして、双方の過失割合は、諸般の事情を考慮して、概ね、被告三宅の七に対して原告ら(被害者側)三と評価するのが相当である。

三  損害

(一)  秀仁の逸失利益・慰藉料と原告らによる相続

この点については、すでに被告会社に対する請求についての判断において認定したとおりであるが(原告らが秀仁の父母で同人の相続人であることは、被告三宅との間においても争いがない。)、秀仁の逸失利益については、前記被害者側の過失を斟酌し、賠償を求めうる金額は二〇六万五、〇〇〇円をもつて相当と認めるべく、なお、同人の慰藉料は、右過失を斟酌しても、五〇万円を下るものではないというべきである。

従つて、原告らが秀仁から相続した損害賠償請求権は、被告三宅との関係においては、逸失利益二〇六万五、〇〇〇円と慰藉料五〇万円との合計二五六万五、〇〇〇円の各二分の一にあたる一二八万二、五〇〇円となる。

(二)  原告ら固有の慰藉料

原告らが、本件事故により、子を失ない、多大の精神的苦痛を蒙つたことは、想像に難くないが、これに対する慰藉料としては、前記被害者側の過失その他諸般の事情を考慮して、原告らにつき各七〇万円をもつて相当と認める。

四  消滅時効の成合

被告三宅は、被告会社の消滅時効の主張を援用するが、その主張が失当であることについてはすでに判示したとおりであるうえ、かりに原告らの自賠法一六条一項による直接請求権が同法一九条による短期消滅時効により消滅しても、被告三宅に対する請求は、民法七〇九条によるものであるから、同法七二四条に該当しない限り、時効によつて消滅することはないというべきである。

五  結論

そうすると、原告らは被告三宅に対し各一九八万二、五〇〇円の損害賠償請求権を有することになるから、原告一茂が右金額の範囲内で一〇〇万円及びこれに対する損害発生の後である昭和四四年二月二日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める請求はすべて正当であるが、原告晴美のそれは、内金一五〇万円が前記のとおり被告会社から填補される関係にあるから、その余の四八万二、五〇〇円及び右同様の遅延損害金についてのみ正当とすべきである。

第三結語

以上のとおりであつて、本訴請求中、被告会社に対する請求は、原告晴美についてはすべて正当であるからこれを認容すべく、同一茂については失当であるからこれを棄却すべきであり、被告三宅に対する請求は、原告一茂についてはすべて正当であるからこれを認容すべく、同晴美については四八万二、五〇〇円及びこれに対する昭和四四年二月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度で正当であるからこれを認容すべきであるがその余は失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 村上明雄)

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